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レポート「日本の教育を考える」
2002年3月6日 |
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≪日本の英語教育を考える
〜現在の英語教育で異文化交流は可能か〜≫ 3月3日、新宿の高層ビル群の一角で、「日本の英語教育を考える」という冠のついたフォーラムが開催された。ファーストフローがこのフォーラムに興味を持ったのは、英会話業界最大手のNOVAが協賛し、外務省・文部科学省・NHKが協賛するという構成と、NOVA代表の猿橋氏がパネリストとして登場する点だ。日本の英語教育のまさに表舞台で経済活動をするNOVAのトップが、教育ということにどのような視点を持っているのか。以下の議事録より読み取っていただければ幸いである。
※各発言の記録は抜粋であり、文書にする際にストーリーがわかりやすいよう、意訳している。 ◇コーディネーター: 平野次郎(NHK解説委員)
◇パネリスト: 中島峰雄(文中「中」)・・・国際社会学者 文部科学省「英語指導方法等改善の推進に関する懇談会」座長 東後勝明(文中「東」)・・・早稲田大学教育学部教授
猿橋望(文中「猿」)・・・財団法人 異文化コミュニケーション財団理事長 NOVAGROUP代表 ジェームス・ワグナー(文中「ジ」)・・・ニューズウィーク日本版副編集長
服部真湖(文中「服」)・・・タレント 〜以下、フォーラムより〜 冒頭、VTRにより日本人と英語の関わりが紹介された。(VTR)
戦前、戦中は敵国の言語である英語は非常に抑圧されていた。 戦後、進駐軍が日本に滞在し日本人の英語勉強意欲を掻き立てる。 そして、現在。外資系企業、グローバル企業が増え、たくさんの従業員が英語を必要としている。
社員食堂のスタッフにネイティブのワーカーを採用する企業や、会議資料・社内データベースも英語に移行した企業も登場している。 社員の英語教育が急務と話す管理職。
◆セクション1:戦後の英語教育 TOEICではアジア圏でも最下位の日本である。 なぜ、義務教育で英語が使えるようにならないのか。
戦後まもなくの日本に、超ベストセラーとなった英会話の本があったのをご存知だろうか。 「日米会話手帳」と言う名前の本で、例えば「How do you
do?」が「ハウディ」と書かれている。 この本が、戦後まもなくの日本で350万部も売れた。 日本の戦後の英語教育はこのように始まったが、全体としたはどのようなものだったのか。
東:日本の英語教育には3種類の大きな流れがあった。 1.グラマートランスレーション 2.オーラルアプローチ(文型定着、発音を復唱、動言語学に基づく)
3.コミュニカティブアプローチ(コミュニケーションを基本とする) 中:戦後は英文学としてのグラマートランスレーションが主流。これが日本人の英語教育には致命的だった。私は、和英辞典を作っているような日本の英語の権威が、英語しゃべっているのを聞いたことが無い。
猿:日本の中学校では、なにを目指して英語教育を行ってきたのか。 文法構文の学問としての英語教育をしたいのか、コミュニケーションをするための英語教育をしたいのか。
そこを明確にしないといけない。 服:私は中学時代に英語を真剣に覚えようと思っていたが、学校ではダメで、自分で環境を作らなければいけなかった。学校の先生には期待していなかった。
ジ:日本人は英語習得のために大変な努力をしている。にも関わらず、しゃべれないということはどこかに問題がある。 受験英語もいけないが、生徒の好奇心をあおるような教育でないといけない。「私も英語がしゃべりたい!」という願望を引き出すことが必要。
インドネシア人の友人に「なぜ日本人が英会話を苦手とするのか」と聞いてみたことがある。 いわく、1つは、日本語では母音と子音の数が少なく英語の発音の聞き取り、発音が苦手なこと。2つ目は人に質問する習慣が無いということ。自分が何かを言いたい、何かを聞きたいという、とにかくしゃべってみようという気持ちが少ない。文化の違いが大きな障害を持っている、と話していた。
東:私も、言葉を使い自分を表現しようという意識が日本人に薄いのは問題だと感じる。 猿:中学校で行われている40人クラスで、コミュニケーションを目的とした英語授業には無理がある。こうした状況では座学中心となり、これでは英語を使えるようにはならない。
生活環境中に英語が入り込まないとしゃべれるようにはなれない。 そのような環境の中に身を置くことが大切。 服:高校を中退するときに、将来の自分の唯一の強みとして英語を学ぼうと決めた。
そのような環境を作れたので授業の内容だけに頼らず、自分で勉強して身につけた。 ジ:日本人の持つ完璧主義も障害の一つになっていると感じる。
◆セクション2:小学校の英語教育 4月から始まる小学校の英語教育導入。 小学校では英語教育の準備不足から、民間の英語学校に授業を任せるところもある。
文部科学省の指導要領では、外国文化になれ親しむ体験的な学習をせよとあるが。 中:日本人全体の英語力向上と、英語を使ってビジネスをする第一線への教育、この2点を切り離すことで、英語指導方法等改善の推進に関する懇談会の土台が固まったように感じた。
猿:言語の学習という観点では、学習時期は早ければ早い方がいい。人間は8歳くらいまで、自分の周りの環境で飛び交う言葉を吸収する能力が高い。
但し、この能力は英語を教える教師の発音など、悪い教育環境では悪い方向に働く可能性もある。 ジ:日本でよく見られるのが、日本の昔話を英語に訳して教材として使う、という授業。何のためにこんなことをするのか?言葉は文化であり、海外の文化をその国の言葉で伝えるというのが基本でしょう。
もう一つは、発音。小学校の英語教育VTRにあったように、先生ががんばっているのはわかるが、先生の幼稚な発音を児童が真似ている。これは問題だと思う。
東:小学校の英語教育に関して言えば、文部科学省は見切り発車している感が否めない。しかし、こんな事例もある。 イギリスの教育機関では20年前に「多言語、多文化の中で育つ子供のメンタリティー」を特殊として、この研究を行っていた。しかし、20年たった今、逆に「単言語、単文化の中で育つ子供のメンタリティー」が研究対象になっている。つまり、「単言語、単文化の中で育つ」ことの方がリスクがあり、教育上の問題が多いという認識に変化しているということだ。このような世界の認識の変化でも判るように、日本の外国語教育も「準備ができていない」ではすまない状況になっていると言う事もできる。
◆セクション3:アジア諸国の英語教育 韓国では小学生の英語教育が実施されている。3〜4年生34時間/年、5〜6年間68時間/年だ。
中学では英語のみのを使った事業を実施している学校もある。 また、小中学校で統一された英語教育のプログラムが実施されている。 中:日本では小中高の間で教師、カリキュラムなどに相互の連携が無いことが問題。
また、よく言われることだが日本の英語教育をダメにしているのは受験英語だ。 自分が発信しようとする能力を高めることが必要である。 大学教育も、全員一緒の授業ではダメで、英語が必要な生徒、できる生徒はどんどん前へ進めるべきである。
東:パーソナリティー・ディファレンス、自己開示という面では韓国人の方が日本人よりもオープンである。「何のための教育か」という基本に戻れば、算数や理科などの各教科も、それぞれの授業を通じて人間性を向上させるということが大きな目的のはずだ。そういう意味で語学教育も考える必要がある。英語教育とは何を目指すのかを明確にする必要がある。
日本では、よく「あれほど英語をやったのになぜできない」と言う声が大きいが、何を「あれほど」やったのか。やったのは単語を覚えることと文法を覚えること、問題集を解くことだけである。英語を使う方法は学んでいない。今までの英語教育を受けた日本人が「あなたは英語ができますか?」と質問された場合は「知っているけれども使えない」というのが正しい見解である。
猿:「あれほどやった」というが、本当はそれほどの時間数をこなしていない状況がある。現在の中高教育では、6年間で1000時間強の学習時間。中学校で言えば117時間/年。
一般に英語を使えるようになる標準の時間は1800時間と欧州では言われている。ここまで日本ではやっていない。 幼児健忘症というのがある。小学生に暗記教育をしても全く無駄になってしまうということだ。
小学生に必要なのは、聞く、話す。しかし今の教育は、読む、書く、聞く、話す、の順。読む、書く、は非常に難しい。つまり、小学生は聞く、話すが中心の教育が良いのではないか。
次いで中学生はこれに読む、書く、を足していく。小中でやるべき英語学習はちがうと考えている。 東:早稲田の大学の生徒は就職の履歴書にあまり高いTOEFLやTOEICのスコアを書かない。
英語オタクとして企業の人事担当者にけられることがあるからだそうだ。 受験を実施する大学側、採用を行う企業側、こういった社会環境の見直し、改善も進めていかなければならない。
◆ セクション4:イマージョン教育 (イマージョン=浸す) 通常の算数や理科などの授業を英語で行うこと。
一日の授業全てを英語で行う。 日本の一部私立中学校ではこれを行い、卒業時には英検の準2級程度になる。 しかし、この状況を全ての公立・私立の学校で作るのは難しい。
猿:コミュニケーションをするための言葉をどう考えるか。日本語でのコミュニケーションに置き換えるとわかりやすい。日本人同士が日本語でコミュニケートしても100%のコミュニケーションは成立しない。
東:「英語を」ではなく、「英語で」に移る必要がある。 英語を学ぶのではなく、何かを英語でする、ということが重要。 猿:英語教育の向上という面では2つの点が大切になる。
1つは、英語を勉強するときの目的。英語を勉強してなにをするのか?ということが問題。 2つ目は、英語教育の量である。 文部科学省が推進する英語教育が、コミュニケーションに目的を置くならば、それに向かった学習をたくさんする。これが大事。
服:私が留学したとき、3ヶ月目ぐらいに突然英語がしゃべれなくなった。 このときに、自分の頭にあるボキャブラリーで、リラックスして話すことを心がけたときに光が見えた。
これが、東後先生のいう、「英語を学ぶ」が「英語で学ぶ」に変わった瞬間だと、お話を聞きながら感じた。 ジ:要するに目的意識。目的があれば、英語の勉強は容易になる。
学校教育の中で、この個人の目的を見つけてあげるのは非常に難しいことだが、生徒にいろいろな経験をさせて可能性をたくさん見せてあげることが大切。 それから、英語は一生の学習であるということも忘れないで欲しい。私はネイティブ・スピーカーだが、まだまだ英語がうまく使えないで、記事を何度も書き直すことがある。そういう、観点も持ち続けて欲しい。
東:言葉の本質とは「声」。音声である。肺からあがってくる息が声帯を振動させ音が出る。 我々は3分息ができないと、死んでしまうといわれている。私は言葉の使い方を教えるということは、ひとの生き方までたどり着くはずだと考えている。
英語教育の原点とは、言葉の使い方を通じて、自分の内面を表現しながら磨き続け、生き方を教えるということではないだろうか。 筆者の感想
日本人と日本語で話すとき、通常バックボーンを説明する必要は無い。なぜなら、日本人はきわめて共通のバックボーンを持っている民族だからだ。つまり、我々はこのような訓練をさせたことも、受けたこともないのだ。
効果的な英語教育を考えるのも結構だが、フォーラムでも言われていた通り、自分を表現すること、日本という国を含めた自分のバックボーンを表現することにより、他文化・他民族との共通点や違いを発見し、それによって人間性に磨きをかける。その学習にもっとも効果的なのが、国際的にも共通性がある言語「英語」である、ということだ。
本来の英語学習とはそういうものでなければいけないし、そうでなければ決して「世界クラス」の日本人は増えないのだろう、とこのフォーラムを通して考えさせられた。
2002年3月3日 新宿NSビルイベントホールにて 主催:財団法人 異文化コミュニケーション財団 協賛:NOVAGROUP
後援:外務省・文部科学省・NHK ※今回のフォーラムの模様はNHKにて5月に放映予定。 |